恵光寺 和尚の日記

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恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。

 

■2010年1月1日

新年おめでとうございます

昨年につきましては恵光寺では4月に「法然上人800年記念のイベントが多く行われ、あらためて法然上人を顕彰することができましたし、恵光寺の鐘楼の新築落慶法要も勤めることができました。あらためて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
 法然上人さまは「自分の行いを自分で善い悪い、と判断するのではなく、今ここに行かされていること自体が不思議でありがたいことなのだから自信をもって歩め」と教えて下さっているように思います。
 今年もほとけさまのみ教え、法然上人さまの思いをより深く受け止め、感謝、反省、実践を繰り返しながら、みなさんと手を携え、いっしょに歩んでいきたく存じます。
 今年もみなさまの恵光寺サンガへのご参加を心からご期待申しあげます。合 掌

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■2010年1月2日

お寺の一年は「修正会(しゅしょうえ)」から始まります。

元旦に檀信徒の方々が集まって、ほとけさまにお礼をする新年の清々しい行事です。 恵光寺では1月2日11時から「修正会(しゅしょうえ)」を勤め、新しい1年が平安でありますように、私どもはみほとけの教えの中に力強く生きて参ります、と誓いをたてました。

写真右:「修正会」の疏を拝読する私
写真下:「修正会」の後、座敷で挨拶をされる中西総代表

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■2010年1月12日

カリブ海に浮かぶ小国ハイチに突然M7.0の大地震

2010年1月12日、カリブ海に浮かぶ小国ハイチに突然M7.0の大地震が襲いました。 国情からその被害の深刻さは想像をはるかに超えるもののようで、現地の人々の生活は不安や恐れでたいへんだと思います。 恵光寺、「さんがいちはらの」ではアーユスの「ハイチ大地震救援募金」に連なって活動をしています。

【支援内容】 おもに女性、子ども、乳幼児、病気を抱えている人たちを対象として食料援助、貧困地域での食料配給、緊急診療所の設置などです。

詳しくは、恵光寺まで、電話・メールでお問い合わせください。

募金のお問い合わせ先
電話 075-741-2627

メールでのお問い合わせ

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■2010年1月20日

大寒の朝に市原野の街を寒中托鉢

「さんがいちはらの」は、毎年大寒の時季に市原野の街を寒中托鉢しています。

大寒の1月20日の朝、市原野の街を寒中托鉢してまわりました。また1月29日の夕方にはJA市原野前で寒中托鉢。多くの方からご浄財を頂戴し心より感謝申しあげます。今年は「ハイチ大地震救援」を願って回らせていただきました。

写真:托鉢の風景

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■2010年1月22日

市原野小学校6年生の子どもたちに市原野の伝統文化のお話

市原野小学校では子どもたちが市原野の伝統文化を受け継ぎ,次代に伝えていくことを願って地域の歴史を学んでいます。その一環として「子どもたちの役割」というテーマでお話をしました。

江戸初期の市原野村の地形と生産に従事する人々の姿をお話しし、大人も子どももみんな役割をもって仕事をし、生活をした。とくに目に見えないものへの「祈りとお礼」という気持ちが大事なお祭りとして伝承され、子ども達もその中で重要な役目を果たしてきた、というようなお話をしました。

写真:市原野小学校6年生の授業風景

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■2010年2月9日

「叡山電車 沿線ハイク」の御一行さまが来寺 恵光寺で講話

毎年実施されています、「叡山電車 沿線ハイク」の御一行さまが今年も恵光寺をご参拝されました。 今回のハイクも、市原~木野間のコースを80名ほどの参加者が散策されました。 恵光寺では、和尚が市原野の歴史やちょっとした講話をいたしました。 大阪から参加された方が半数以上で、洛北の自然や山々が好まれていると感じました。

写真右:本堂前で叡山電車の森社長と
写真下:法話を聴かれる参加者の方々

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■2010年3月9日

左京区の民生児童委員研修会でお話をしました

いま日本中、虐待の問題はとても大きな課題となってい ます。 左京区では社会福祉協議会を中心に、専門家や実務者が 集まり、昨年、「虐待対応ハンドブック」を作りました。 使いやすさが好評でいま左京区のあちこちでそのハンド ブックを使って研修会が開かれています。 小生はこのハンドブックの制作委員長という形でこの事 業に関わっていますが、今回、左京区の民生児童委員、 主任児童委員の研修会(京大会館)でお話をしました。 「大人の都合、という物差しで計るのではなく、子ども を信じ、認め、その子の人権を守っていくのが親権」な どお話ししました。

写真右:会場風景
写真下:お話をする小生

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■2010年3月11日

市原の「向山」が雪化粧

三寒四温のこのごろみなさまいかがお過ごしですか。春 のお彼岸も間ぢか、暖かい春ももうすぐです。 昔は手紙のあいさつ文などで、この時季のことを「春寒 料峭の候」などと書いたりしました。 春先になって寒さがぶり返す時季のことです。   市原野の「向山」もこの3月11日、市原野の「向山」が雪 で白くなりました。

■市原の「向山(むかいやま)」と藤原惺窩(ふじわらせい か) 市原の街は北側にでぇ~んと「向山」が座っています。 この「向山」、「市原山」と呼べば良さそうなものをな ぜ「向山」というのでしょうか。 みなさん、藤原惺窩(ふじわらせいか/1561-1619)という 人をご存知ですか。江戸時代初期の人で、京学の祖、近 代儒学の創始者といわれ、林羅山、石川丈山、角倉了以 を始め多くの門人を育てた学者です。惺窩は1615年、恵 まれた自然を好んで、この市原はその「向山」の麓に移 り住みました。そして市原の景勝地を「市原八景」とし て残しています。 その八景のなかに「北肉峰」と題して「心をや 背向(そ がい)に為(す)らむ 人も我も 北の背向(そがい)の山の 半ばに」というのがあります。 この市原の後の山をみんな心の拠り所とするのだ、とい うのですね。この背向(そがい)の山と名づけた惺窩の思 いを後世、市原のひとたちは「背向山」と呼び、そのう ち「向山」になった、と考えられます。

写真右:向山雪景色

市原野会館で「健康すこやか学級」

京都市には地域の高齢者の介護予防の事業として「健康 すこやか学級」というのがあります。 市原野では市原野社協が毎月第2木曜日に市原野会館で開 催しています。 いつものように50人ほどの高齢の方がお見えになり、 15人ほどのボランティアがお手伝いをし、健康チェック、 体操、昼食、手芸、談話というプログラムを楽しんでい ます。 小生も毎回10分の講話というか、感話をしています。

写真右:お話をする小生
写真下:会場風景

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■2010年3月18日

「ニューヨークNPT代表派遣激励ミニコンサート」のご案内

4月18日 9条静市の会、さんが・いちはらの共催の「ニュー ヨークNPT代表派遣激励ミニコンサート」が地元の音 楽家、愛好家の参加により、恵光寺本堂にて開催されま す。

◆コンサート開催の経緯 2010年5月にニューヨークでNPT(核不拡散条約)再検 討会議が開催されます。 この会議は5年に一度、この条約に加盟している世界19 0カ国が集まって行われ条約点検をします。 前回はアメリカが後退した行動に出て実質的会議は行わ れませんでしたが、今回はオバマ大統領の「核のない世 界」宣言をバックにその成果が期待されています。 唯一の核被災国・日本は「核兵器のない世界」実現のた めに大きな力をになうと、世論が高まっています。 市原野では「9条の会」「さんが・いちはらの」などが代 表団に地元の人を送ろう、と恵光寺の岸野真我(21)が 推薦を受け、派遣されることになりました。 このミニコンサートでは、代表派遣激励と共に、音楽に 耳を傾けながら「平和な一時」を実感すると共に「核の ない世界」を考える時間になればと企画されました。 どなたでもご参加頂けます。(無料)

5月22日 恵光寺新緑ミニコンサート 「渋谷文太郎シャンソンのひととき」のご案内

5月22日(土)の夕刻(詳細な時刻は未定です)に、恒例 となっております「恵光寺ミニコンサート」を開催しま す。今年はシャンソン歌手の渋谷文太郎さんの来ていた だくことになりました。 清楚でつやがあり、そして心ときめく文太郎さんの歌声 をお楽しみ下さい。 詳しい内容は、5月前半にこのページにてご案内いたしま す。

 

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■2010年3月19日

市原野小学校卒業式に出席

今年、市原野小学校を巣立っていく6年生は62人。この 3月19日はその卒業式でした。 卒業式では卒業していく子どもたちにいっぱいエールを送りたくなりますね。
式辞の中に「人を大事に思う心を」というお話がありました。
人を信じていくことの難しい世の中ですが、だからこそ、みんなが人を大事に思うことのできる世の中にしたいですね。
3月の恵光寺門前掲示は次の文句でした。
「大人になるということは人から愛されるようになるのではなくだれでも愛せるようになることです」と書きました。これはいわさきちひろさんの言葉です。

写真:写真撮影の為に校庭に集まった卒業生の皆さん

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■2010年3月20日

春彼岸の「お施餓鬼(せがき)法要」を厳修

恵光寺では3月20日に春彼岸の「お施餓鬼(せがき)法要」 を厳修しました。
春分、秋分の日を中日と呼び、その前後三日づつ、計七 日間をお彼岸と呼びます。
一日が終わって沈む夕陽が真西に沈むその美しさ、その 真西の彼方に亡くなった人が生まれる「極楽浄土」があ る、と、手を合わせる行事です。
いずれ、私たちもそこへ生まれていくのだ、という感慨 が、昼と夜とが同じ長さで平等価値があるように、生と 死とが同じ質のものに感じられる、そういうとうとい宗 教文化なのですね。
恵光寺では3月20日に春彼岸の「お施餓鬼(せがき)法要」 を厳修しました。


目に見えない「亡くなった方々」に手を合わせる、とい う行為は、そのまま不思議のいのちを生かせてもらって いること、また亡くなった人も含めてみんな「共生(と もいき)」なんだ、と戴くときなのです。

写真:お施餓鬼の風景

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■2010年3月30日

またまた市原の里も雪化粧

3月もおしまい、というときに、市原の里はまたまた雪化粧。前回のこの徒然記の蘭で3月11日に市原の里に雪が降ったことを紹介しましたが、お彼岸がすんでもう4月になろう、というときに、またまた雪が降りました。

市原の向山について

この「向山」についてですが、江戸初期の儒学者、藤原惺窩(ふじわらせいか/1561-1619)が命名した、ということをお伝えしました。
この藤原惺窩さんは播磨三木郡細川庄(現在の兵庫県三木市)の生まれで、郷里の三木市では「三木出身の大学者」と慕われています。
このお彼岸の3月21日、その三木市で、町あをあげて「藤原惺窩物語」という演劇の公演がありました。その劇の中で、わが市原の里が紹介され、惺窩さんが作った「市原八景」の「北肉峰」という歌《「心をや 背向(そがい)に為(す)らむ 人も我も 北の背向(そがい)の山の半ばに》が披露されました。
実はこの歌に旋律を付けたのは恵光寺の和尚でして、とてもいいご縁をいただいた、と喜んでいます。私はこの「藤原惺窩物語」公演には行けませんでしたが、 三木市教育委員会の方が公演のDVDを送りますから、と言って下さっていますので、心待ちにしております。

写真:雪に覆われた市原の「向山」

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■2010年3月21日

春彼岸のお中日が「黄砂」でびっくり

「寒さ暑さも彼岸まで」という言葉は有名ですが、今年 のお彼岸は異常気象でしたね。 暴風に黄砂。
彼岸中日3月21日の朝は黄砂で恵光寺の庭から見た東の空 はこんなのでした。
3月20日の恵光寺のお彼岸法要は温度も高く穏やかでした が、その後ずうっと悪天でした。
とくに21日は日本列島全体が強い風に見舞われましたし、 中国大陸で巻き上げられた砂が飛来する「黄砂」がやっ てきてそこらあたりは砂だらけになりました。
暴風などで火事や停電があり、春といっても、自然はや はり厳しいものです。しかし一方、この気候をくぐり抜 け、梅や桃の花が咲き出すんですね。やっぱり春なんで す。

写真:恵光寺の境内から見上げた黄砂の空

 

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